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Totie's ノート

コラム・エッセイ

光、自分のその先に(せとうちスタイル寄稿文)

小豆島に来てから10回目の春を迎えた。
36年間生まれ育った東京を離れ、しかも縁もゆかりもない瀬戸内の島に越すなんて、東京カルチャーにどっぷり浸かっていた20代の私が聞いたら「何があったの?」と食い気味に聞くだろう。大都市での生活は、常に刺激があり、情報や出会いに溢れ、物欲を掻き立てられ自然とお金を使いたくなるテーマパークのようだった。ここしか知らないわけだから、生活への疑問を持ちようもなかったし、なんとなくここで生きていくんだろうなと思っていた。
ただ、30代に差し掛かってくると、今までのように楽観的ではいられなくなってくる。どこかを目指して歩き始めなければという焦りはありつつも、自身の現在地が分からず、足がすくんでしまう。皮肉にも自分の名前の「一歩」が踏み出せないという日々が続いていた。
そんな折、雑貨や衣類の制作をするために友人とネパールを訪れたのだが、そこで出会った子どもたちの笑顔は、今までの価値観がぶっ飛ばされるぐらいのインパクトだった。アジア最貧国と言われるぐらいだから経済的には豊かではないのだが、そんなことを微塵も感じさせないほど、好奇心に満ち溢れキラキラした子どもたちの目は、”おじさん”に片足突っ込んでいた自分には眩しすぎた。
日本に戻ってからも、異国で遭遇した「幸せの価値観の揺らぎ」は尾を引いており、答えの無い問いをモヤモヤと考えては、またネパールやアジア各国に行く、という完全に”ヤバいおじさん”ゾーンに両足突っ込みつつあったのだ。
そうして数年が経ち、3月11日を迎えた。

数カ月後、私は計画もそこそこに西へ西へと向かっていた。
未曾有の事態に直面し、東京も今までの東京では無くなってしまったような気がして、もうどうしていいか分からない。何もできないけど、ただただ祈りたい。祈るという行為を通じて、心に掛けることと併せて、悲しみと不安に支配された自分の気持ちを解きほぐしたかったのかもしれない。
直感と流れに身を任せた久々の一人旅は、達成感や高揚感といった楽しさとは程遠く淡々と時が流れ、雨が土に染みていくようだった。閉じてしまいそうだった自分の心に糸一本ぐらいの隙間が開き、そこから何かと繋がったような感覚も交わっていた。
そんな道中の心の機微を落ち着かせ、前に向かせてくれたのが、ジャズ・ヴィブラフォンの名手ゲイリー・バートンの「ファースト・インプレッション」という曲だった。小曽根真さんが弾くピアノのイントロは穏やかな光が差し込むような風景を想起させ、朧気に抱いていた希望と重なる部分があった。
何の根拠も自信も無いけれど、この曲のイメージに合った煌めく光景で暮らしたいと思ったのが、東京を離れようと決意した最後のピースだ。

島に来てすぐ、車が進む坂道の先には、瀬戸内の水面が煌めいていた。
「10年後もこの風景をきれいだと思えるかな」という妻に対して、私は「見慣れないといいね」と言った。
そんな会話を思い出しながら、10年前と同じ気持ちでこの道の向こうの眩しさを感じている。

大塚 一歩(おおつか いっぽ)
1975年東京都三鷹市生まれ。東京のIT・情報系企業や、友人と立ち上げた輸入業を経て、2012年4月に夫婦で小豆島に移住。島内企業へ就職後、2016年4月NPO法人トティエ理事就任、2017年4月より同事務局長兼任。現在、妻と長男、島で出会った保護犬と一緒に暮らす。

こちらは、せとうちスタイル 2021 vol.13 に掲載した寄稿になります。

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